那珂市 きくち接骨院*JUN整体院

院長です。

 

開業して8年。

開業当初からずっとお世話になっている

女性の税理士さんがいます。

 

私が感覚で話をしても通じる

少し不思議な税理士さん。

 

私の根拠のない自信を聞いても

大丈夫。って言ってくれ

本当に大丈夫なんだと

思わせてくれるスゴイ人。

 

その方の言葉は

長年の経験から出てくるものだけではなく

感覚的なところからも

出てきてる気がしていました。

 

今年に入り、

仕事の事だけでなく

いろいろお話させていただく中で

自分を大切にして、

もっと楽しく人生を送れる人が

増えたらいいのに。

っていう共通の想いがあることが発覚。

 

そこで、ぜひ税理士として、個人として

それを伝えてもらえませんか?とお願いして

ブログを書いてもらいました!

 

1人でも、

軽やかに生きる

きっかけになってもらえればとの想いから、

本人たってのご希望で

満月である今日、

公開させて頂くこととなりました!!

 

それでは、

私が絶大な信頼を置き、尊敬する

スピリチュアル税理士さんからの

寄稿を覧ください。

 

満月と共にたくさんの方のココロに届きますように。。。

 

———————————————

 

しんどいな、生きにくいなと少しでも感じているだれかへ。

 

大丈夫。頑張らなくていいよ。

何でもかんでもぜんぶ一人で

完璧にしなくていいの。

そして、辛い、シンドイって

感じて思って良いんだよ。

そんな時は誰かに助けを求めて

頼っていいし、そうしよう。

もうあなたが、あなたらしく

息をして今日も生きている、生き抜いた。

それだけで本当はすごいこと。

そして、好きなことやワクワクすること、

心地よいと感じることを

選んで生きていこう。

私達はみんな、

それを選ぶことができるから。

 

振り返ると、

トコトン重たいエネルギーで

生きてきた私自身のこと。

記憶がある頃から、

たぶんずっと“優等生”で生きてきた私は、

「出来ない」

「やりたくない」

「イヤだ」

といった言葉を表現することができず、

いや、そもそも自分自身に、

この感情を持つことを許してこなかった。

何でも出来る完璧な自分でいること、

頑張って努力して負けない私。

すべてに対して100% いや120% 頑張る

全力疾走は当たり前。

それが人を成長させて、

人として生きること。

そんな風に信じていた。

努力根性バンザイ!

苦しみの中にしか

真の楽しみは存在しないのだ!みたいな。

 

さてさて、子ども頃は、

勉強と部活だけ頑張ればよかったけれど、

大人になるにつれて、頑張らなきゃいけない

エリアがどんどん広がっていく。

私の場合、家事に育児(シングルマザー故の「お父さん役」と「お母さん役」)、

税理士としてのキャリア、

組織の代表者としてのすべき為すべき(って思い込んでた)諸々の事。

 

口癖は「私は大丈夫」 

不思議なもので、仕事でもプライベートでも

次から次へと壁が出てきて、

どんどんその壁は高くなる感覚。

その度、無理矢理にでも

その壁を乗り超えるという連続。

 

でも、ある時感じた違和感。

周りの人達に優しくなれない自分がいる。

「どうして出来ないの?」

「どうして頑張れない?」

「我慢しない?そこ」

「こうすべきじゃない?」

言葉に出さなくても

態度で周りを責めてばかりいる私。

 

そして何よりも、

私自身の心と身体が悲鳴をあげて、

「あれ、涙出てる」

「身体痛い」

いつまで頑張り続ければ良いのかな。

頑張り続けたそのゴールってあるのかな。

頑張って、私の器は

どんどん大きくなっても、

いつか壊れてしまうんじゃないかな。

もしこれが、終わり無き闘いであるならば、

何のために私は闘ってるんだろう。

毎日が苦しくてしんどくて、

辛い時間に変わった瞬間。

 

そして気付いていった。

ずっと他の誰か、

私以外のみんなに認められたくて、

褒められたくて生きてきたこと。

子ども達にすら認めて欲しかった。

自分で選択してきたつもりでも、

全ての基準は、

周りの誰かに認められるかどうか。

ものすごい衝撃だった。

透明な破裂寸前の風船、透明人間な私。

 

今、私自身がどうしたいのか、

何が好きで何をしたいのか。

どう生きてどう在りたいのか、

全然わからない。

誰かが求めてる事はすぐ分かるのに、

私自身が求めることがわからない。

「好き」

「心地よい」

「やりたい」を認められないから、

「やりたくない」「嫌い」が

認められなかったのかもしれない。

 

きっとあの時、限界寸前だった。

泣きまくって苦しんで

抜け殻のようになっていた時間の中で、

「好き」はわからないけど

「嫌い」がどんどん溢れるように

出てきたから、面白い。

それに最初は抵抗していたけれど、

抵抗するパワーもなくなって、

ただただ私の中から溢れでる

「嫌い」を受け入れるだけ。

ここで思ったのが、

「嫌い」から「離れる」ということ。

今までしたことないその行動には

かなりの勇気が必要だったけれど、

苦しさから解放されたくて、

小さなことからやってみようと決心した。

 

例えば、

「料理がとても嫌い」が出てきたときは、

何も作らずにコンビニ弁当やスーパーの

お総菜を食卓に並べるだけにするとか。

極端な時は、白いご飯だけ用意して

「あとは好きにして下さい」としてみたり。

 

「嫌い」を認めて「離れる」を決めると、

何らかの形で、周りへ「離れます」を

伝えるようになり、

ここでまた一つ、扉が開いた。

それは、私が「離れる」と、

その場所に誰かが代わりに

いてくれるということ。

「料理が嫌い」の場所は、

子ども達が「楽しい」からと

料理を作ってくれる事が増え、

「事務仕事が嫌い」の場所には、

必ず会社の誰かが

「得意だから」としてくれて。

 

あ。完璧、マル。にするのは、

1人でしなくていいんだ。

みんなでマルにすればいいんだ。

私の嫌いは、誰かの好きなんだ。

という大きな気づきから暫くして、

嫌いから離れ続けた私に、

「好き」だけが残っている、

浮かび上がったことに感動したことを

覚えている。

 

好きなことだけで生きていけるなんてと

思うかもしれない。

現実にはそうかもしれない。

実際、今でも料理をする時はするし、

事務仕事をすることもある。

でも、大切なのは、

自分の好きなこと心地よいことを認めて、

それを大切に生きていきたいと決めること。

それだけで、見える世界は全然違う。

どう在りたいか、が決まれば、

現実は少しずつでも変わっていく。

 

そして何よりそれが私自身を

大切にするということ。

他の誰でもない、

私自身だけに認められればよくて、

自分を信じることに繋がっていくんだろう。

 

島崎藤村の「太陽の言葉」(随想集「春を待ちつつ」より)、そのものだ。

 

“誰もが太陽であり得る
わたし達の急務は、ただただ眼前の太陽を追いかけることではなくて、自分等の内に高く太陽をかかげることだ“