茨城県那珂市

きくち接骨院*JUN整体院

広報のさやかです。

今回の連載、

たくさんの方に読んでいただいているようです。

思い切ってKさんにお願いして

よかったなぁと思っています。

本日は連載3回目。

半分まで来ました。

過去の記事をまだ読んでいない方は

そちらからどうぞ♪

↓↓↓

1.クレニオに通うまで
2.息子のこと

 

3.社会に出る準備

私は彼の個性は尊重はしているけれど、

元気がいいだけではないし、

読み書き出来ないのは支障もある、

集団や社会で生きていくにはルールも必要。

“元気ありすぎて〜”や“苦手なんだよね〜”って

気付かないふりを他人に押し付けることは違うと思って、

付き合いがある人には

“息子は自閉症でこんなことが苦手”

と伝えるようにしていました。

普通幼稚園に入園する際は

半年前からアポを取り

現状を伝え、加配の先生を付けてもらう算段と

息子の事を細かく書いた

取り扱い書のようなものを作成しました。

なぜ普通幼稚園に通わせたか、

それは、6歳までにあらゆるものを吸収して欲しかったのと、

私が障害児を抱えて生きていくうえでの

準備体操のような機会だと思ったから。

息子は様々な経験をしたと思います。

人と同じことが同じに出来ないこと。

いつも大人と一緒なこと。

やらない、だめ、ばかり言われること。

様々な差を身をもって感じたと思います。

そんな酷な、、、。

でも、これからも彼はそうゆう人生を歩むこと。

例えこれから、会話もスムーズになり、

お勉強もできるようになり、

集団でも見つけづらくなる様になるかもしれないけど、

彼の中にある本質は変わらないと思うのです。

何かを敏感に感じて口走ってしまったら

その日から変人扱いをうけるような。

幼い頃は、敏感だね特技だね、なんて言われていたことが、

気持ち悪い変態と言われかねないのです。

その日を迎えるか迎えないかはわかりませんが、

私は、彼自身や彼の周りの関わる人達や、

私達親に、予防をはることにしました。

感じて少しでも考えてもらえるような機会を増やしました。

味方が見つかるように、敵が増えないように、

彼自身が味方を見つけられる力をつけられるようになるように、

“個性だから!”を貫くのではなく、

手や声を差し伸べてもらいやすくなるようにオープンにしました。

《④家族としてに続く》

今日はここまで。

続きもぜひ読んでください☆

それでは、また!